エンジニアの思考録

AIが記憶を持てない理由と「ベクトルDB」が抱える構造的限界を暴く

AIでプロダクトを開発していると、必ずと言っていいほど突き当たるのが「記憶の継承」という壁です。

どれだけ精度を上げようとしても、会話の文脈や過去の履歴が維持されないため、ユーザー体験に限界が生まれます。

この構造的な問題は単なる技術不足ではなく、AI開発企業が意図的に制限しているのではないかという疑問を抱かせるものです。

この記事では、そうした疑念から「ベクトルDB」という補完技術の正体と限界、さらに社会制度との断絶までを掘り下げていきます。

イントロダクション

AIを使ったプロダクトを本気で作ろうとすればするほど、誰もが必ず一度は突き当たる「記憶が継承されない問題」。

私自身、実際にプロダクト開発の中で何度もこの壁を痛感してきました。

最初は単なる技術的制約だと思っていたものの、調べていくうちに、この構造こそがAI設計における“意図的な制限”ではないかという疑念が生まれました。

この記事では、その核心となる「記憶継承の不在」と、それを補完する存在として浮かび上がる「ベクトルDB」の正体に切り込んでいきます。

なぜこの記事を書くのか?

私は現在、自分自身でAIプロダクトを開発しています。その中で痛感した最大の課題が「記憶が継承されない」ことです。

つまり、ユーザーが何を話したのか、過去にどんな意図を持っていたのかをAIがまったく覚えていない状態が標準であり、それが精度や信頼性に大きく影響を与えています。

一見すると単なる技術的な未完成のように見えますが、これは偶然ではないと感じ始めました。

なぜなら、OpenAIのような企業がこのような“記憶を持たせない構造”のままAPIを展開していること自体が、何かしらの“設計的判断”であると考えざるを得ないからです。

では、なぜ記憶の継承が避けられているのか? 

この疑問を深掘りするためには、AI設計の思想、法律、そして社会的な背景まで視野を広げる必要があります。

記憶の継承とは何か?

そもそも「記憶の継承」とは何を指すのでしょうか。

それは、ユーザーがAIと対話を重ねる中で、以前の会話内容やその背景、判断の経緯をAI側が“持ち越す”ことを意味します。

ところが、現在主流のLLM(大規模言語モデル)は、基本的に「ステートレス」、つまりすべての入力に対してその場限りで応答する設計になっています。

この「ステートレス設計」は、一見すると効率的で扱いやすく見えますが、実際にプロダクトに組み込んで運用しようとした途端に、その限界が露呈します。

ユーザーがAIに何度も同じ説明をしなければならない、長期的な文脈が通用しない、そういった体験はすべて、この記憶不在によって起きているのです。

さらにやっかいなのは、多くのユーザーがこの状態を「仕方のないこと」として受け入れてしまっている点です。

AIがステートレスであることを前提にしてしまえば、そもそも記憶継承の必要性自体が“問題として認識されない”まま放置されてしまいます。

これは技術の本質的な進化を妨げる要因になっていると考えています。

「記憶継承」の“壁”とは

記憶継承が存在しないという前提でAIを活用することには、明確な限界があります。

AIの精度を上げたい、応答を文脈的に一貫させたい、ユーザーとの継続的な関係性を保ちたいと願っても、会話の履歴が保持されない限り、その実現は困難です。

このセクションでは、精度向上を阻む記憶不在の構造と、それを意図的に設計している可能性について掘り下げていきます。

精度向上における制約

AIの出力精度を上げるためには、単に入力の質を上げるだけでは不十分です。

対話や操作の流れの中で「前に何を言ったか」「何を実行したか」「ユーザーが何を求めているか」を保持し続けることが欠かせません。

人間同士の会話では当たり前のように成立しているこの「文脈記憶」が、AIにおいては一切存在しないのです。

たとえば、ユーザーがある指示を出した後に、補足的な内容を述べたとしても、AI側が前の指示を“忘れている”ため、文脈を接続できず誤った応答を返してしまいます。

実際、以下のような現象が頻発します。

シナリオ人間の期待AIの実際の応答
「明日の予定教えて」→「じゃあ明後日は?」明後日も予定を答える「明後日」という語だけに反応して不正確な答えを返す
「この書類はどう思う?」→「じゃあこれを送って」前の書類の内容を参照して送信に応じる「これ」が何を指すか不明で動作しない

これらの例からもわかるように、「精度」というものは単なる単語の認識精度やモデルの学習量ではなく、記憶の一貫性によって成立する側面が非常に大きいのです。

にもかかわらず、現在の主流AIは会話の“繋がり”を一切保持しません。ここに、開発者として最も大きな制約を感じざるを得ません。

OpenAIがステートレス設計をとる理由

記憶が重要だと誰もが理解しているのに、なぜOpenAIをはじめとした主要なLLM開発企業は「ステートレス(記憶を持たない)」設計を基本に据えているのでしょうか。

そこには、単なる技術的問題以上の理由が存在しています。第一に挙げられるのは、法的・倫理的リスクの回避です。

もしAIが過去のやりとりを保持し続ける設計になっていた場合、それは「個人情報の継続的な保持」や「意思決定の再現性」が発生することになり、GDPRやCCPAといったプライバシー保護法制との衝突が避けられなくなります。

また、記憶を持つAIは、ある意味で「人格性」や「責任所在」の議論を呼び込むことになります。

過去の会話を根拠に判断を下したAIがいた場合、それが間違っていたときに「誰が責任を取るのか?」という問題が必ず生じます。

これは、企業としては極めて回避したいリスクです。

加えて、技術面でも「記憶を保持するにはどこまでの情報を保存するべきか」「どのように再利用するか」といった定義があいまいであり、すべてのケースに対応可能な汎用的メモリ設計は極めて難易度が高いのが現状です。

そのため、ベースモデルはあくまでもステートレスに保ち、必要な場合は開発者側で個別に記憶管理を行わせる設計が採用されているのです。

結果として、ユーザーが求める「継続性」や「対話の一貫性」は、開発者自身がベクトルDBやカスタムDBを用いて実装しなければならない状況に置かれています。

これは、一見すると自由度を与えているように見えて、実際は「記憶継承は開発者の責任」という構造的放棄を意味しているともいえます。

現場(開発者)の視点から見る“ステートレス設計”

AIを活用したプロダクトを実装する現場では、ステートレス設計に由来する数多くの制約に直面します。

ただし、それは単なる「設計上の不備」ではなく、むしろ意図的に施された制限であることが多く、背後にはビジネス的、契約的、法的な意図が色濃く反映されています。

このセクションでは、記憶を持たない設計とどう折り合いをつけるのか、また開発者が取らされる選択肢について掘り下げます。

API仕様とビジネス要件の折り合い

現在の主流AIであるGPTなどのAPIは、全てステートレス設計を前提に提供されています。

これは裏を返せば「一つ一つのリクエストは、その場限りの処理で完結する」という構造です。これにより、プロバイダ側は重大な責任やデータ保持の義務から解放されることになります。

一方、開発者としては非常に厄介です。たとえば、以下のような状況で違いが明確に現れます。

項目ステートフルAPIステートレスAPI
会話の一貫性前回の会話を保持して応答可能常に新規の入力として処理される
ユーザー特化対応過去の傾向をもとに調整できる毎回ゼロベースの対応となる
エラー対応前後の流れから推定・補正可能直近の入力だけで判断され誤動作しやすい

このように、開発者がユーザー体験を最適化しようとするとき、APIが記憶を保持しないという仕様は強い足かせになります。

しかしプロバイダ側からすれば、これが最もトラブルを避けやすく、またスケーラビリティの面でも優れた方法なのです。

わかりやすく簡単にまとめると「AI以前の時代の要請は、軽量化、分散化・・そこへAIなんてものが突然現れて、木製ボートの上にジェットエンジンを積んだ状態になっちゃってる」と表現すればわかりやすいでしょうか・・

法的責任の所在も大きなポイントです。仮にAPIがユーザーの過去情報を保持し、それに基づいて判断を誤った場合、責任は誰が負うのかという問題になります。

APIを使った側なのか、APIを提供した側なのか。その線引きが極めて不明確なため、プロバイダとしては「覚えさせない」ほうが遥かに安全であるという結論になります。

ベクトルDB登場の背景

こうしたステートレス設計の根本的限界を補うために登場したのが、ベクトルDBと呼ばれる仕組みです。

ベクトルDBは、ユーザーが過去に送った情報や履歴などをベクトル化し、それを用いて「似たような文脈」「過去の関連発言」を検索できる仕組みです。

つまり、AI本体が記憶を持たない代わりに、周辺構造で“仮の記憶”を構築するのがベクトルDBの役割です。

このアーキテクチャでは、開発者が以下のような設計を自前で実装することになります。

ポイント

  1. ユーザー発言をベクトル化する

  2. ベクトルDBに格納する(メタデータ付き)

  3. 次回以降の問い合わせ時に類似検索を実行

  4. ヒットしたベクトルの文脈をリファレンスとして生成処理

この手法は一見すると高度で洗練されたように思えますが、実際には「構造的記憶」ではなく、「似ているものを抽出するだけの曖昧な記憶」です。

つまり、ベクトルDBが提供しているのは「厳密な文脈保持」ではなく、「なんとなく近そうな話題を思い出す」ためのヒントです。

開発者はこの仕組みを受け入れることで、一貫したユーザー体験をある程度は実現できるようになりますが、その代償として以下のような妥協を迫られます。

得られるもの代償となるもの
継続性のある対話の再現類似検索に依存した曖昧な文脈
ユーザー傾向の反映分類と整理のコスト増加
疑似的な記憶保持厳密な整合性や因果の欠如

要するに、AI本体の中に記憶を持たせられない現状では、周辺構造で“それっぽさ”を補強していくしかないというのが開発者の現実です。

この構造の中で何を妥協し、何を設計に落とし込むか。それこそが今のAI開発における最前線の判断軸だといえるでしょう。

「ベクトルDB」の構造的限界

ベクトルDBは、ステートレスなAIに“記憶のようなもの”を与えるために登場した補完技術です。

開発者の視点では、ある程度の文脈保持や過去参照を実現できる強力なツールとして重宝されます。

しかし、その仕組みを深く理解していくと、そこには致命的とも言える構造的限界が潜んでいることが見えてきます。

このセクションでは、ベクトルDBの設計原理と、それが“説明不可能性”という課題に直結する理由を明らかにします。

仕組みの概念整理

ベクトルDBとは、自然言語などの情報を「数値ベクトル(多次元空間上の点)」に変換し、それらの距離を使って「意味的に近いもの」を高速に検索するためのインデックスエンジンです。

一般的には、OpenAIのEmbeddings APIなどを用いてテキストを1536次元などのベクトルに変換し、それを保存・検索します。

このとき、従来のリレーショナルデータベースとはまったく異なる設計思想が採用されています。

具体的な違いを以下の表にまとめます。

項目リレーショナルDBベクトルDB
データ構造明確なカラム構造(スキーマ)を持つベクトルのみ(軸にラベルがない)
検索方式条件式による完全一致/範囲検索距離計算による類似度検索
因果説明WHERE句などで条件根拠を明示可能なぜヒットしたかの論理説明が困難
JOINの可否複数テーブル間の構造連携が可能JOIN不可。構造的接続は外部設計が必要

このように、ベクトルDBは“構造のない構造”とも言えるシステムです。

各ベクトルは何千次元もの数字で構成されているにも関わらず、その各軸に意味付けはされておらず、開発者側が「この次元は話題の温度感」「この次元は文体の硬さ」などと定義することはできません。

その結果として、「このベクトルがなぜ他のものと“近い”と判断されたのか」という問いには答えることができません。

つまり、開発者自身が検索のロジックを理解・説明できないという構造的な限界を抱えているのです。

結果が“なぜ出たか”説明できない理由

ベクトルDBが返す検索結果は、あくまで「数値的に近いもの」です。

この数値はユーザーにも開発者にも不可視な内部構造(高次元ベクトルの距離)に基づいており、どの軸がどれだけ影響しているかを明示する手段が存在しません。

これは一見些細な問題に思えるかもしれませんが、実運用では極めて重大です。

たとえば、ユーザーが「なぜこの応答が返ってきたのか?」「なぜこの記憶が呼び出されたのか?」と疑問を抱いたとき、それに対して根拠を説明できないという状態になります。

開発者自身も、数式上の“近さ”を理由に納得するしかなく、運用のチューニングや改善がブラックボックス化してしまうのです。 さらに、検索精度の評価も難易度が上がります。

ベクトルDBにおける“近さ”は、数値的には正確でも、人間の直感とは大きく異なる結果になることが多々あります。

たとえば、次のような例が挙げられます。

入力文検索結果人間の評価
「日曜の夜は静かに過ごしたい」「日曜に聞きたいジャズプレイリスト」関連していると感じる
「会議で話すネタが欲しい」「面接で聞かれる質問リスト」ややズレているが“近そう”には感じる
「この書類、誰が作ったの?」「Excelで作る報告書テンプレート」完全に文脈が外れている

このように、ベクトルDBは“それっぽさ”を再現するには優れていますが、“意味の正確性”や“構造的再現性”には著しく弱いという欠点を抱えています。

ここで重要なのは、これが「技術的にまだ未成熟だから」という問題ではなく、「設計思想として説明責任を放棄した仕組みである」という点です。

わかりやすく言えば、ついにデータベースの世界にも「確率で判断する」という発想が持ち込まれたということです。そして今はもう、「なぜそれがヒットしたのか?」に対して、明確な理由ではなく「全体的に見れば、たぶんこれが正しい確率は◯%です」としか言えない時代に入ってしまったのです。

このような構造に依存してAIを構築するということは、明示的に「説明不能な判断」に頼ることを受け入れるという覚悟を意味します。

特に、教育、法制度、行政のように判断の正当性が問われる分野では、このブラックボックス性は致命的な障害になり得ます。

ベクトルDBは確かに便利です。しかし、その便利さの裏には「説明不可能性」という大きな代償が常に横たわっているのです。

社会/制度とのズレ

AI技術が急速に発展し、さまざまな業務や判断の場面に導入されつつある一方で、その根本的な設計思想が社会制度と深刻なズレを起こし始めています。

とりわけベクトルDBのようなブラックボックス的な仕組みは、「なぜその答えに至ったのか」という説明責任を要求する社会構造と決定的に相容れません。

このセクションでは、民主主義国家が抱える説明責任との衝突と、逆に説明責任を求めない体制におけるAI活用の現実について考察します。

説明責任を求める社会とAIの相性

日本を含む多くの民主主義国家では、「なぜそう判断したのか」「どのようなプロセスでその結論に至ったのか」という説明責任が制度上組み込まれています。

これは行政判断、医療、教育、金融、司法などあらゆる分野において必須の要件です。

このとき、AIが判断の補助を行う場合に問題になるのが、「その根拠を説明できるかどうか」という点です。

ベクトルDBをはじめとした現在のAI構造では、先に述べた通り「なぜそれがヒットしたのか」「なぜこの応答が返ってきたのか」を説明することが極めて困難です。

つまり、判断そのものはAIが行えても、その説明責任を果たす能力がないため、実務には使えないという結論になってしまうのです。

実際、欧州連合(EU)では「AI法(AI Act)」を制定し、「高リスクAIシステム」に分類されるものには透明性・説明可能性・監査性の要件を課しています。

この枠組みによって、ブラックボックス型のAIは重要インフラでは利用できない、あるいは利用できたとしても極めて厳しい審査・報告義務が課されることになります。

また、社会的信頼の面でも説明責任は不可欠です。企業がAIを活用して顧客対応や意思決定を行う際、ユーザーや消費者はそのプロセスを信用する材料として「根拠の開示」を求める傾向が強まっています。

特に行政分野では、「AIの判断だから仕方ない」では通用せず、必ず人間による説明が補完されなければなりません。

このように、現行のAI設計がもたらす「説明できない判断」は、制度社会との摩擦を避けられない構造を内包しているのです。

中国型のAI活用モデルとの比較

一方、説明責任を制度的に重視しない体制においては、ブラックボックス型AIの導入は極めてスムーズです。

特に顕著なのが中国におけるAI活用のあり方です。 中国政府はすでに社会信用スコア、顔認識による監視カメラネットワーク、行政判断へのAI導入などにおいて、AIを“判断エンジン”として積極的に制度に組み込んでいます。

このとき、重要なのは「なぜそのスコアになったのか」「なぜその人物がマークされたのか」といったプロセスの開示が義務付けられていない点です。

つまり、AIが判断を行い、その結果に従って行政的・社会的処分がなされたとしても、そこに「説明責任」や「合意形成」のプロセスが存在しない構造が成り立っています。

これにより、AIの“便利さ”や“効率性”が最大限に活かされる環境が整えられているとも言えます。

以下は、民主主義国家と非民主主義国家におけるAI導入の比較表です。

項目民主主義国家(例:日本、EU)非民主主義国家(例:中国)
AIの判断根拠の要求常に求められる原則不要
導入時の審査・規制厳格なガイドラインが存在政策に応じて柔軟に導入可能
誤判断時の責任追及人間側に説明責任が生じる責任構造が曖昧でも導入が進む
技術導入のスピード慎重に段階導入迅速に全面展開可能

このように、制度上の要件が軽い社会では、AIは“倫理”や“透明性”という足枷を外された状態で自由に活用されます。

特にベクトルDBのような「説明できないが便利な仕組み」は、こうした体制においてこそ本領を発揮するとも言えます。

しかし、その一方で、判断の根拠が不明であることは、冤罪や監視強化などの人権問題と直結します。

技術的には先進的であっても、それが「自由」や「信頼」といった社会的価値と両立しているかは、常に問われ続けなければなりません。

つまり、AIの設計思想と社会制度の相性は、単なる技術論ではなく、倫理・政治・文化にまで関わる複雑な問題なのです。

結論と問いかけ

ここまで述べてきたように、AIが記憶を継承しない理由には、技術的な限界以上に、設計上の意図や社会制度との整合性といった深い背景が存在しています。

ベクトルDBは、その“空白”を埋める手段として期待されながらも、「説明できない」という構造的な限界を同時に内包しています。

今後のAI開発においては、この“構造のない構造”をどう扱うかが、開発者・企業・制度それぞれに突きつけられる問いとなるでしょう。

「構造のない構造」を使いこなすとは?

ベクトルDBはあくまでも「近いものを探すエンジン」であり、そこに“意味”や“論理”を構造化する機能は備わっていません。

それでも私たちは、この曖昧な仕組みを活用して、実際のプロダクトや業務へ落とし込んでいかなければなりません。

つまり、ベクトルDBを使いこなすということは、「精度」や「正しさ」ではなく、「それらしさ」や「違和感のなさ」に対するセンスを持つということです。

これは従来のプログラミング的な論理思考とは異なる、感性と文脈解釈に基づいた設計力が問われる領域です。

要するに、開発者自身も「どれが正解か」を明確に判断できていない状況の中に身を置かれているのです。

記憶を継承するということは、それを根拠として次の判断を下すという意味であり、曖昧な類似度ベースの世界では、その判断が正しいと保証できないのです。

さらに重要なのは、ユーザーや社会に対して“これは説明できない技術である”ということを正直に提示し、それでも価値があると判断された時だけ実装する、という設計倫理です。

無理に“わかったふり”をさせたり、ブラックボックスのまま責任を回避するような設計は、最終的に信頼を損なう結果に繋がります。

「構造のない構造」を使うことは、開発者自身がその構造の“限界”を理解し、ユーザーに対しても誠実である必要があるということです。

それを受け入れたうえで、どこまで実用に耐える形に磨き上げられるか。それこそが、ベクトルDB時代の本当の技術力と言えるのではないでしょうか。

次への展望

今後、AIがより深く社会に浸透していくにあたり、記憶の継承と説明責任の問題は、避けて通れないテーマになります。

そして、ベクトルDBを含む“準記憶構造”が本格的に社会実装されるには、次の3つの視点が鍵になると考えています。

視点必要な取り組み
技術ベクトルDBと構造DBのハイブリッド化、説明可能性の向上
制度ブラックボックス技術に対する透明性ガイドラインの整備
倫理“説明できない判断”をいつ・誰が使ってよいのかの明文化

これからのAI開発者は、「精度の高さ」だけでなく、「構造のなさをどう補うか」「説明できない仕組みをどう管理するか」という、より本質的な問いと向き合わなければなりません。

そして本記事を読んでくださった皆さん自身にも、ぜひ問いかけたいと思います。

あなたがこれから作ろうとしているAIは、「なぜそれを答えたのか」を説明できますか?

それとも、“説明できないけれど役に立つもの”を受け入れますか? この曖昧さをどう扱うか。

それが、これからの技術者に問われる時代になったのです。

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